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代表メッセージ

こんにちは。代表取締役 兼 グループCEOの垣本祐作です。
当社、ホームページを見てくださりありがとうございます。
あなたがこのページを見ているということは、何らかのきっかけで弊社を知り、弊社がどんな会社なのかということに興味を持っているということでしょう。
この会社はどういう会社なのか?どういった経緯で生まれ、どんな仕事をしているのか?取引、就職する上で大丈夫な会社なのか?などをお考えで弊社について調べていただいているかと思います。
そこで、弊社のことをより分かって頂くため、このページでは創業者である私の創業の経緯や想いを下記に記載いたしました。
是非、どんな人かお読み頂いた上で、今後、私たちの会社に関わる上での参考にしていただければと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

代表取締役 兼 グループCEO 垣本 祐作

垣本 祐作 プロフィール 1985年5月31日生 千葉県千葉市出身

出身
千葉県千葉市緑区誉田町の竜産婦人科で産まれる(午後5 時47 分2862g)
略歴
千葉市立猪鼻保育所
千葉市立星久喜小学校(千葉アミカルスポーツクラブ所属)
千葉市立星久喜中学校(サッカー部)
千葉市立稲毛高校普通科(サッカー部)
日本社会事業大学社会福祉学部(ダンス部)
大手経営コンサル会社(法人営業部)
ボートレーサー養成所(108期選手養成員)中退
 起業(24 歳)
血液型
A 型
保有資格
社会福祉士、介護福祉士、福祉住環境コーディネーター2級、福祉用具専門相談員、重度訪問介 護従事者、宅地建物取引主任者、小型船舶免許
趣味
仕事、歴史、冒険(バックパッカー)
好きな食べ物
カレー
嫌いな食べ物
パクチー、セロリ
好きな映画
ソーシャルネットワーク、ショーシャンクの空に
座右の銘
『凡事徹底』

幼少期の
“ヒーロー”への憧れが
創業の根源

私は、幼少期にアンパンマン、仮面ライダー、ウルトラマンという“ヒーロー”に強く憧れを持っていて、よく公園や学校でヒーローごっこをして毎日外で遊ぶ子供でした。
テレビゲームをやって家で遊んでいる友達を公園に引っ張り出すのが得意でした(笑)。
非常に正義感が強い幼少期で、自分が“ヒーロー”になりきって無邪気に幼少期時代を過ごしていました。
遊びが飛躍して先生などにはいつも怒られている問題児でもありました(笑)。
私が思う“ヒーロー”とはどんな存在かというと、「人が困っている時に駆けつけ、すぐに問題解決する人」だと思っています。
現在でもこの幼少期の“ヒーロー”の感覚をすごく大事にしていて、そういった世の中の“ヒーロー”になることが私の人生の目標でもあり、幼少期からの憧れこそが、創業の根源であります。

実在した歴史上の
“ヒーロー”
坂本龍馬
のようになりたい

高校生時代、サッカー部に所属して部活動に明け暮れる生活をしていましたが、父の影響もあり、たまたま司馬遼太郎が書いた小説『竜馬がゆく』や漫画『お~い竜馬』を読み、考え方に大きな影響を受けました。
なぜなら、憧れていた“ヒーロー”が日本の歴史上に実在したからです。
この坂本龍馬の生き方に衝撃を受け、坂本龍馬のように世の中を変えるヒーローになりたいという想いがこの頃から沸々と湧き上がってきました。
坂本龍馬は決して私利私欲のためでなく、日本の未来、何十年後の未来のために奔走したのです。
坂本龍馬は、外国からの脅威によって日本が困っているところを、救った“ヒーロー”だと私は認識しています。
その気持ちこそが私の人生の目標とすべきであり、目指す“ヒーロー”像になっております。
私は、“ヒーロー”になるため、高校生時代には資本主義経済の中核を担う経営者になると決意したのです。

2025年は日本の危機??
社会問題解決を志す

大学受験期に予備校で勉強している際、小論文の対策講座で「2025年問題」について知りました。その小論文で書かれていたことは、2025年に団塊の世代が75歳である後期高齢者になることにより、介護・医療費等の社会保障費が急増し、国家の社会保障が崩壊する可能性が高くなるという事実でした。
また、その高齢者の急増加での人口バランスの問題は日本が世界一のスピードで直面しており、今後、世界各国も同じ問題を抱えるという内容でした。そして、この対策講座の論文の最後には、「今、政治をやっている人は、結局社会保障が破綻する頃にはこの世にはいないので、本気で解決をしようとしなく、負の遺産を後世に残していく。これが人間の歴史の宿命なのだ」という内容で締めくくられていました。
私は、この事実に大きなショックと衝撃を受けたとともに、この状況を何とか救えないかと思い、興味を持ちました。そして、日本の福祉問題や社会保障分野についての本を読み漁りました。
私の“ヒーロー”の感覚と日本の社会問題の解決がリンクして、社会福祉の分野に進もうと決意し、社会福祉学部に進学しました。

福祉分野には
広い視野の経営力が必要

大学在学中は、起業の夢を持ち、創業経営者の自伝をひたすら読み漁りながら、介護現場でのアルバイトや飲食店のアルバイト漬けの生活をしていました。また、実習や課外授業などで多くの福祉現場を体験させていただく機会がありました。
学生時代に多くの社会問題の最前線を自分の目に見て回りました。多くの福祉現場を体験させていただき、最も思ったことは、福祉分野での経営者の経営に対する意識の低さでした。とても美しい理念を持って経営している方が多かったのですが、それが収益構造を伴う経営として結びついていなかったり、その理念を従業員に押し付けるだけで浸透していなかったりすることが多々見受けられました。また、従業員も不満が多かったり、愚痴だらけの職場になっていたりする職場の多くありました。そうなると、とても良い理念を持って、社会問題を解決しようとしてもそれを実行する経営がしっかりとしていないと、長続きしないと思いました。
そもそも社会問題、福祉の問題は人間に関わる全てなので、より横断的な視点で物事をとらえる必要性があると強烈に感じました。この経験から経営の経験を積むには福祉分野でなく、より広い別の分野で視野を広げることが必要だと思いました。
その後は、福祉分野など分野を絞ることなく、経営に関わること全般の勉強をするための行動をする日々に変わっていきました。

ニートでした

大学卒業後、経営の勉強をするために社内起業などが盛んな大手有名企業へ就職しました。
仕事は専門的なコンサルティング業務と福利厚生のアウトソーシングの営業でした。とてもハードワークな会社でしたが、そこで、多くの社長の方々への提案をする機会があり、とても勉強になったと同時に、大組織経営の基礎を学びました。
しかし、企業勤めをする中で、大企業の性質が私には合わなく、会社に行くのが嫌になり、起業することに対する想いが強くなり、すぐに退職しました。
自分自身気付いたことは、私は、大企業で活躍するというエリート街道を走るタイプでは全くありませんでした(笑)。
大企業を辞め、周りから見たらいわゆる「人生のレールから外れたニート」で負け組のレッテルを貼られて、家族を含め多くの人から批判され、人生のドン底の気分を味わいました。

平均年収1700万円の
競艇選手(ボートレーサー)の世界へ

「起業するためにはどうすれば良いか?」
ニートで時間がたくさんあったので、多くの経営者や歴史上の偉人の本を読んだり、インターネットで検索したりして、起業するためにどうすれば良いかを考えました。
私は、とにかく悶々と考えるより起業資金を稼いでいつでも起業できる状態を作るのが先決だと思い、インターネットで「高収入 職業」と検索しました。
検索したら、「平均年収1,700万円 競艇選手募集」という文言が目に入ってきました。
もともとサッカーを小さい頃からやっていて、運動神経には自信がありましたが、身長が小さいことが大きなコンプレックスでした。しかし、競艇選手(ボートレーサー)はその体重制限、身長制限があり、小さい身長が有利になるというのです。
すぐに受験をすることを決めて、試験対策をしました。結果、3カ月の対策で合格率2%の競艇選手(ボートレーサー)試験に1回目の受験で合格をしました。
運が良かったのだと思います。

インターネット
マーケティングで
日本初の予備校の設立

実際に競艇選手(ボートレーサー)の世界に入ってみると、タテ社会で私の考えていたプラン通りに稼げないことが分かりました。競艇選手(ボートレーサー)の世界に目的がなくなった私は、次なる起業への道を模索していました。
そこで、「合格率2%の試験に3カ月という短い期間で一発合格するというのは、全国的に珍しいことではないか」と思い、だったらこの難関試験に合格するためのノウハウを全国に提供する事業をやった方が良いのではないかと考え、競艇選手(ボートレーサー)試験の予備校を開校することにしました。当時は、そういった試験対策機関は日本になく、日本初の挑戦でした。しかし、最初はお金がないので、どうやって広めたら良いか試行錯誤をし続けました。
その時にインターネットマーケティングと出会ったのです。
少しのお金でできるインターネットマーケティングの可能性に私は興奮して夜も寝ずに情報収集と勉強をし続けました。
インターネットマーケティングの最先端のアメリカから資料や本を取り寄せて、分からない英語を読めるように読み漁っていました。まさに寝食を忘れる位に没頭しました。
そして、そのインターネットマーケティング手法を使って、お金を使わずにどんどん受験生を集めていきました。そして、全国に4校を展開し、業界トップシェアで競艇選手(ボートレーサー)の8割以上を輩出する予備校になりました。
現在も継続して、運営しており、今では信頼できる人に任せて、私の手は離れています。
当時24歳。世間的には非常に早い事業の成功でした。

事業の成功と苦悩

競艇選手(ボートレーサー)試験の予備校の事業は順調に上手くいき、資金にも余裕が出てきました。インターネットマーケティングを駆使して次々に会社を立ち上げ、事業を展開していきました。
飲食店、ネット通販、建物検査会社、エステサロン等、共同経営やコンサルティングも含めると多くの業種の経営を経験してきました。
しかし、全ての事業に対して本気になっていた訳でなく、成功するからやるという感じの感覚になってしまっていて、全ての事業が中途半端に上手くいっていたのもあり、全然刺激がなく、面白くなくなっていきました。そんな現状に危機感を感じる日々が続き、「一生を捧げられる事業がやりたい!」と強く思い始めました。

破天荒の祖母の死

そんな悶々をした日々を過ごす中、父方の祖母が介護状態になり、実家の大きな問題になっていました。祖母はパワフルな性格で、破天荒な人生を送ってきており、介護状態になるなんて想像もつかない人でした。
祖母は日が経つにつれ、少しずつ老衰していき、毎日泣いていて、最後は目を当てられない姿になっていきました。パワフルな性格だった祖母にはホームヘルパーも寄り付かず、外部者の介護拒否をして続けて、祖父が介護をして、老老介護となり、祖父も介護状態になり、悪循環が続いていました。
家族の介護がこんなにも深刻な問題になるなんて、思ってもいませんでした。

初心に返り、
社会問題を解決する
事業を決意

この祖母の死がきっかけで、もう一度自分の人生を考え直した時に、幼少期の頃の想いや学生時代の想いが沸き立ってきました。
私がやりたかったのは、「人が本当に困った時に助けること」。人が本当に困る時はいつだろうか?
それは、家族が死に直面したり、生存の危機があったりした時ではないかと考えました。
それを複合的に大きくしたものが「社会問題」という言葉でまとめられているのです。
私はこの「社会問題」を解決する事業をすることを決意しました。
社会問題の中でも、最も深刻である2025年問題、高齢者急増の解決をまず始めようと思い、在宅介護分野の訪問介護サービスと居宅介護支援サービスを開始しました。この時、29歳でした。
最初に起業してから約5年間経って、初心に返り、ようやく介護事業を始めました。
紆余曲折してきましたが、点が線になった瞬間でした。
これが「ドットライン(DOT LINE)」という社名の由来です。

社会問題は
あなたの地元で
起きている

全ての社会問題は地域で起きています。
社会問題というと、大きく捉えがちですが、組織の最小単位である家族の問題の解決が先決だと思います。政治などの制度的な部分でなく、現場から変えていくのが急務だと思いました。
だからこそ、地域密着した事業をする必要があり、最も縁がある産まれ育った千葉市で事業をやろうと思いました。
日本は東京一極化が進んでいるが、地元で活躍する若者をもっと増やしたく思い、そのロールモデルになろうとも思いました。
地元でやることで最も身近の人間が困った時に救える事業をしたいと思いました。

自分から
幸せを循環させる

人の究極の目標は幸せになることであると思います。幸せの定義は一人一人違っていて、一つではない。私は、多くの価値感があっていいと思っています。
自分の幸せの価値観を人に押し付けるのは間違っていると思っています。しかし、幸せは命の危機がある状態では感じられない。命の安全、安心があるからこそ人は幸せになれると思います。そこは、人類共通の想いなのではないでしょうか。だからこそ、私は、幸せの根源である生命に関わる社会問題の解決が先決だと考えています。
そうすることで幸せな人が増えると思うからです。
私は、たまたま事業家になりたくて、事業で社会問題を解決したいという夢を持っていて、それを実現するのが幸せでありますが、あなたの幸せはそうではないかもしれません。僕は好きでやっているだけなので、特にそれを強要することもないでしょう。
私は幸運にも好きな仕事を見つけて、それができている。その幸せな想いをより広げていけたら、幸せが循環して社会が幸せで満ちるのではないかと思います。そういった気持ちを共感できる人達と一緒に仕事をしたいと思っています。

弊社の理念は
「幸せの循環創造」

自分から幸せを循環させる人達と一緒に仕事をして、弊社に関わる人達を幸せに巻き込みたいと思っています。
「他人を幸せにするには、まずは自分から」
笑顔、やさしさ、思いやり、などのプラスな感情は伝染します。
人は人によって幸せになる。
こういう想いを大事にしている会社です。

地域の「困った」を
「ありがとう」に
変える会社

弊社は一言でいうと、『地域の「困った」を「ありがとう」に変える会社』
決して、介護企業でも福祉企業でもないです。
だからこそ、弊社の事業プランは業界や業種にこだわることなく、困った人を助けることに集中して事業展開をしていきたいと思っています。
私は、人生をかけて、この理念の下、突き進みますので、是非、この想いに共感して下さる方は何らかのかたちで関われたらと思います。